おだやかに暮らせるコンパクトなまち。八幡浜市 移住・定住支援ポータルサイト

  1. トップページ
  2. 暮らし体験談
  3. 映像業界で身につけたスキルを活かし、仲間たちと「面白いこと」で故郷を盛り上げたい

映像業界で身につけたスキルを活かし、仲間たちと「面白いこと」で故郷を盛り上げたい

都築直飛さん(34歳)

YAWATAHAMA 笑顔打ち上げプロジェクト花火大会

2018年7月7日、西日本豪雨で愛媛県南予地方は大きな被害を受けた。

人々の生活は一変。子どもたちが、いや大人も毎年楽しみにしていた夏祭りもなくなり、みんなの顔から笑顔が消えた。

それから8カ月後の2019年3月2日、道の駅「みなとオアシス八幡浜みなっと」前の海上にどどーんと花火が打ち上がった。“人々に笑顔を届けたい”という想いのもとに集まったメンバー「笑顔打ち上げプロジェクト」が企画、寄付を募って大勢の協力のもと開催できた花火大会だ。

 メンバーの1人、都築直飛さんは当時のことを思い出す。「誰の利益にもならないことに、企業、個人、いろんな方が協力してくださった。こんなすてきな人々がいる八幡浜に帰ってきて本当に良かった」

やさしい世界の合い言葉は「おいしいみかん、作ろうな」

都築さんは高校までを八幡浜で過ごし、関西の大学へ。卒業後は京都の映像プロダクションに入り、映画やテレビドラマの制作に携わる。同期が次々と脱落していくハードな現場に、地方出身の負けず嫌いの青年は必死に食らいつき、25歳にしてラインプロデューサーに就任。その生活は1日睡眠2時間、1年のうち360日は会社というハードなものだった。

 

2016年に八幡浜へ戻ってきたのは自分の意志。もともと故郷への回帰思考があり、独学で地方ビジネスについて調べていた。また、東京で働く兄は地元に戻れそうになく、老齢の両親の側にいられるのは自分しかいないとも思ったという。

 

 帰郷後1年間は、みかん農家の友人を手伝った。そこで見たのは、やさしい世界。

「みんな作業が終わって汗だくでも、作業の遅れている友人を手伝いに行くんです。合い言葉のように“おいしいみかん作ろうな”と言って」

都築さんは、これまで視聴率や興行収入を気にしてトゲトゲしくなっていた自分が、みかんのように丸みを帯びてくるのを感じた。

面白いことをする集団・ILBLANCO(イルブランコ)誕生

そんな中、八幡浜の人たちを笑顔にする花火プロジェクトを計画していた上甲真裕さんと出会い、意気投合。プロジェクトの実現に向け、いっそ母体となる会社を立ち上げようと、上甲さんを代表とする合同会社ILBLANCOを設立した。モットーは「面白いことをする」。利益を追求する普通の企業には、できないことだ。

当初、プロジェクトは難航した。簡単には寄付が集まらず、“大企業で大きなお金や人を動かしていた”という都築さんの自信は、木っ葉微塵になったという。

 やがてメンバーが親しくしている地元企業が協力してくれ、そこから数珠つなぎのように“地元のためになるなら”と出資してくれる企業が現れた。

「熱意を持って直接交渉すると、耳を傾けてくれる企業が増えました。今思うと、最初は僕の自信が見透かされ、生意気に映っていたのかもしれません」

“自分は何者でもない”ことを知ると同時に、八幡浜には地元のためなら一肌脱ぐ気概のあるステキな企業、産業がたくさんあることもわかった。

 

「自分は何者でもなかったけど、このステキな方々にとっての何者かでありたい」

この時生まれた気持ちが、都築さんが今、八幡浜でビジネスを継続する何よりの活力になっているという。

八幡浜市民がワクワクし続ける町にしたい

ILBLANCOでは企画、デザイン、映像製作、写真撮影、コピーや記事、脚本などのライティング、イベントプランニングを請け負う。これは、前職で身に付けたスキルと人脈が活きた仕事だ。また、プロデューサー時代から映画のシナリオを書いていた都築さんには、定年された方を集め『自分史』を書く教室を開く計画もある。

 

「会社なので、収益はあげないといけないんですけど。その収益は、地元の人が喜ぶようなお金にならないことに使うんです」と笑う都築さん。

事務所にはいろんな人がやってくる。近所の人たちとのちょっとした会話から、ビジネスにつながることもある。花火大会で協力してくれた人たちからは、この活動を1度限りにはせず、継続していってほしいと言われたそうだ。

 

夕方になると事務所には花火大会のメンバーたちが、仕事を終えて集まってくる。

「朝まで話しこむこともしばしば。家に帰らない生活はプロデューサー時代と変わりませんが、今は楽しくてここにいるので、身体も気持ちもいたって健康です」

都築さんたちは、今の子どもたちが大人になったときに、面白くてワクワクする町であるよう、八幡浜を盛り上げたい熱意であふれている。

 

※ラインプロデューサー  映画やドラマの製作現場の全体を見渡しながら、予算、スタッフ、スケジュールの管理をする。

 

気になる移住のホンネ教えて

Q1 八幡浜に戻りたかったのはなぜですか?

高校時代はやんちゃで破天荒、いろんな人が叱ってくれました(笑)。でも、振り返ると全部懐かしい思い出ですね。老齢の両親の心配もありましたが、実は故郷への思い入れが強かったのかもしれません。都会の生活は刺激的で面白いですが、八幡浜にいると本当に心地よいです。

Q2 八幡浜で仕事をする強みは?

このたびのコロナ禍で、企業がテレワークやリモートワークを積極的に取り入れたことにより、地方にいても仕事はできるということに皆が気付いたと思います。家賃も物価も安いですし、実際に地方移転を始めている企業もでてきていますね。

僕は、八幡浜にいながら、今でも自主映画を制作している京都の若手映画関係者の支援を続けていますし、東京や大阪のクライアントと仕事をすることも可能です。こういった地方における1つのビジネスモデルを作り、他の地方に広められるのではないかと思います。

Q3 Uターンして困ったことは?

今すぐ必要!なものが地元で手に入らないことがありますね。通販は時間がかかるので。

Q4 八幡浜で起業を考えている人にアドバイスを。

事業内容によると思いますが・・・。地方は「人のつながり」が大事です。八幡浜の人は温かいですが、やはり仲間となってくれる人は必要だし、そのほうがビジネスもうまくいくと思います。もし、Iターンで八幡浜に来られるなら、八幡浜でなければならない理由を見つけると、仕事が始めやすいと思います。

都築直飛さん(34歳)

都築直飛さん(34歳)

移住スタイル Uターン
移住時の年齢 20代
家族構成 単身

八幡浜市移住担当者からひと言

八幡浜は、離島を除き光回線の普及率が100%。都築さんのように、ネット環境があれば仕事ができる方には、移住しやすい環境だと言えます。

古くから海運業の拠点港として栄え、進取の気風が残る八幡浜では、市内至る所に地域活動を行う団体があり、大小さまざまな規模で地域を楽しくする活動を行っています。そういった活動に参加してみると、移住後の生活がより充実するかもしれませんね。