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家族だんらんを求めて移り住んだ場所で、積み重ねたキャリアをいかす

ハンフリー ロスさん(63歳)山本 千智さん(45歳)心さん(12歳)

摩天楼のそびえるニューヨークから、東洋ののどかな港町へ

グローバル時代の昨今、国際結婚も珍しくはないが、八幡浜市に移住してきたカップルはそう多くない。道の駅八幡浜みなっとから歩いて10分ほどの、静かな住宅街に住む一家を訪ねた。

窓からわずかに漏れ聞こえる会話が英語、という他はごく一般的な民家だが、室内にさりげなく置かれた小物や家族写真の見せ方が、海外生活の名残を垣間見せる。「どうぞ~よくいらっしゃいました」とにこやかに千智さんに招き入れられ、ロスさんとも対面。「あまり日本語うまくないんです」と、こちらの英語よりはるかに流暢な日本語で挨拶された。一人娘の心ちゃんは、現在中学1年生。テニスに夢中な女の子だ。

町の不動産屋で紹介された中で「一番キッチンが現代風だったから」選んだという住まい。無造作にかけられたスタッフ証や、大物アーティストと肩を並べて写るロスさんの写真が目をひいた。

アメリカのイリノイ州生まれのロスさんは、サウンドエンジニアのキャリアを持つ。耳慣れない職業だが、アーティストのアルバム制作やライブなどには欠かせない、より良い“音”をデザインして創りあげる技術者で、サウンドデザイナーと呼ばれる。業界での評価も高く、ニューヨーク・オフブロードウェイの※1ブルーマングループのプロジェクトに、サウンドデザイナー&サウンドエンジニアとして参加していた。

八幡浜市出身の千智さんは、1995年に大阪の大学を卒業後、仕事でニューヨークへ渡った。ロスさんとは、ルームメイトの友人として知り合い、2004年に結婚。心ちゃんを出産後は、育児に専念した。

ブルーマンのショーやツアーは世界規模。千智さんも心ちゃんを連れて、3か月ごとにショーの立ち上げのため、トロント、ラスベガス、ロンドン、アムステルダム、ベルリンと移動した。1年のうち、ニューヨークの自宅にいられるのはわずか2~3か月ほどだったという。ロスさんは育児に協力してくれるが、生活はハードだった。

「ニューヨークは物価も高いですし。それで私の親族がいる八幡浜に引っ越そうという話になったんです。」

2009年11月にワールドツアー公演の千秋楽を迎えるとロスさんはフリーとなり、12月末に一家は八幡浜へ移り住んできた。

自分のキャリアや能力を活かせる仕事を見つける

移住当初、ロスさんは音楽の仕事で海外にいくこともあったが、家にいる時間が断然長くなった。音楽業界に身を置くならば、東京など大都市にいたほうがよさそうだが、ロスさんには、八幡浜暮らしを選んだ理由があった。「早くに両親を亡くしたので、大きなファミリーを作りたかった。ここには千智の両親や親戚たちがいます。」

アメリカの内陸で育ったロスさんには、海に面したところも魅力的だったようだ。

そして62歳で米国の定年を迎え、音楽業界を引退。現在は本国からの年金を受け取りながら、八幡浜市国際交流協会の依頼で市民に英語を教えている。指導法は特に勉強したわけではなく、八幡浜で知り合いに英語を教えるうちに、自然と確立していった。地域の人たちとのコミュニケーションから生まれたオリジナルの“ロス”メソッドだ。

一方千智さんは、帰国直後にハローワークで英会話学校の講師のパートを見つけ、週に3日夕方だけ働いていた。すると、ハローワークから市内の会社が英語のできる秘書を募集しているという情報を得たので、並行して働くことに。こちらも週に3日だけのパート勤務だったのだが、まもなく英会話学校が閉校となったため、2010年5月に正式に社員として採用された。

勤務先は、米国企業と日本企業2社の3社からなる合弁企業で、ハンバーガーパティを製造している。事務部門の社員は、海外とのやりとりが多いので英語力が求められる。千智さんのキャリアを活かせる仕事だった。

会社は女性の登用に積極的で、社員を男女等しく実力、能力で評価する。結果、現在6部門あるうち3部門のリーダー(部長)が女性で、千智さんは管理部門のリーダー職にある。

愛媛県は、全国一通勤通学時間が短い。千智さんの通勤時間も、自転車で20~30分ほどだ。夕方には帰宅できるが、家事は帰国当初から家にいることの多いロスさんが主に担当してくれている。ロスさんが家をあけても、近くに住む両親の手が借りられる。Uターンの有利さを存分に活かした、働きやすい環境だ。

外に出よう、楽しもう、そうすることで人の輪が広がる

休日には家族でのんびり過ごす時間ができた。九州行きのフェリーが停泊する八幡浜港を眺めながら、ボードウォークを散策する。

ロスさんの交友関係の広さは、いまや地元民である千智さんをしのぐ。近所の八百屋さんには「買い物袋を持参するのが珍しかったので、ロスさんは『エコバッグ』とあだ名をつけられたんですよ」と千智さんが面白そうに教えてくれた。

八幡浜みなっとのイベントの日、家族揃って芝生広場へでかけた。年間100万人が訪れるという八幡浜みなっとは、ロスさんの台所だ。仲良しのクレープ屋さんに立ち寄り、水揚げしたばかりの新鮮な魚が並ぶ「どーや市場」の大将から、本日のおすすめを教えてもらう。

少女時代を過ごしたとはいえ、変貌する故郷は千智さんにとっても未知の事が多い。開拓精神あふれるロスさんと共に、千智さんも自分の世界を広げているように見えた。

愛媛には、様々なジャンルの音楽活動を行うアーティストたちがいる。ロスさんはボランティアで彼らの創作活動を手伝っている。特別な機材が無くても、持てる技術で音を生み出すロスさんのクリエィティビティに学び、刺激をうけるアーティストたちは、幸運だ。

彼らが制作したアルバムには、“ロス・ハンフリー”の名前が記されている。稀有な才能が、地元八幡浜に来てくれたことに敬意と感謝をこめて。

※1 ブルーマンは青い顔の3人組。ブルーマングループは、世界中で大ヒットしている、芸術性、音楽性の非常に高い、ユーモア溢れる舞台パフォーマンスのこと。

気になる移住のホンネ教えて

Q1. お気に入りの場所はどこですか?

(千智さん)八幡浜みなっとが家から近く、いいお散歩コースです。八幡浜市立図書館は、子どものころにあった以前の建物の時からずっとお気に入りの場所です。

(ロスさん)ミニ四国霊場巡りのできるお四国山、宮島さんは、舌間地区にある厳島神社で海の中に鳥居があります。

諏訪崎という美しい岬もお気に入りです。それからオーディオ好きのマスターがいるジャズバーも!

(心ちゃん)イーグル(八幡浜ちゃんぽんの有名店)

Q2. 住んでみて良かったこと、残念なことは?

(千智さん)良かったことは、家族が仲良く過ごせること。残念なことは同年代の人が少ないように思うこと。私の年代は、町を出て行った人が多く、帰ってきていないのようです。

(ロスさん)良かったことは、安全な町だということと、新鮮な魚や野菜が手に入ること。残念なことは、お年寄りのなかには外国人を苦手とする人がいることです。ちょっとさみしいですね。

Q3. 移住を考えている人にアドバイスを

見知らぬ土地に行くときは、お試しに1週間くらい住んでみることをおすすめします。移住を決めたら、土地の人に色々学ぶこと、そして生活をエンジョイすることです。

ハンフリー ロスさん(63歳)山本 千智さん(45歳)心さん(12歳)

ハンフリー ロスさん(63歳)山本 千智さん(45歳)心さん(12歳)

移住スタイル 夫・嫁・孫ターン
移住時の年齢 50代
家族構成 夫婦と子ども

八幡浜市移住担当者からひと言

かつて八幡浜は四国で最初に電灯がともり、県内初の銀行が設立されるなど「伊予の大阪」と呼ばれた商業の町でした。今は昔の繁栄の面影が市内の古い建物などに残っている程度ですが、日本中にブームを巻き起こした「塩パン」を生み出すなど、パイオニア精神は失われていません。
平地が少ないので、職場・スーパーや道の駅・小さなお子さんをのびのび遊ばせることができる緑地公園などがコンパクトにまとまっており、生活するのに便利です。
県都松山市からも比較的近い立地にあり、九州とを結ぶフェリー港があることから、第2国土軸として高速道路を整備中で、今後ますます交通の便はよくなります。30代や40代の子育て中の方々にも魅力的な町だと思います。