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回り道も無駄ではない 覚悟を決めて農業の道へ

梶谷 晋平さん(39歳)

非農家生まれの者が、農業を選択することへのためらい

梶谷さんは、保内町(2005年八幡浜市と合併)出身。保内町は瀬戸内海と宇和海に面し、昔からかんきつ類の栽培が盛んだが、愛媛県で最初に電気が通り、また銀行が設立されるなど、県内の文明をリードしてきた側面も持つ。

梶谷家は農家ではないが、近所にはみかん畑があり、農家の隣人・友人・知人も多い。

「昔から、農業や農家へのリスペクトは自然と身についていたと思います。」

愛媛県の地方に育った若者の多くは、高校卒業後の進路を松山市もしくは県外へ求める。梶谷さんも関西の大学へ進学し、卒業後愛媛に戻って一般企業に営業職として就職した。

あるとき、以前からお世話になっていた方に、道の駅八幡浜みなっと(2013年開設)の準備期間中にオープンする「青空市」の店長をやってみないかと声をかけられた。梶谷さんは、多くの地元の人たちと触れ合える仕事に魅力を感じ、快く引受けた。

かんきつ類や加工品の販売をしていた約2年間、のべ100人を超える農家や農協関係の人たちと関わった。今まで出会ったことのない人たちから、梶谷さんの中にあった農業へのリスペクトや憧れが刺激され、農家への興味を持つ強いきっかけとなった。

しかし農業が簡単ではないことも理解しているため、非農家である自分にその適性があるのか?地元であるがゆえに、自信がないまま八幡浜で農業に就くことには、ためらいがあった。

しがらみのない他県で始めた農業修業

梶谷さんは、寝ても覚めても農業にどっぷりと浸れる環境をインターネットで探した。目に留まったのが、愛媛から遠く離れた長野県川上村。「日本一の高原野菜の産地」として知られているところだ。愛媛の住まいを引き払い、何の当てもなく川上村を訪れた梶谷さんは、住み込みで働かせてもらえる所を探し、飛び込みでとある農家を見つけた。

川上村の住民は人口約4000人のうち、約7割がレタス農家。加えて約1000人のアルバイター(外国人が8割・日本人は2割程度)がいる。レタス栽培の仕事は3月下旬〜10月上旬までだが、川上村では労働力を確保するため、大地が雪に埋もれる冬の農閑期にもアルバイト料が支払われる農家もあるという。梶谷さんは、深夜はコンビニ・そして朝から夕方まではスキー場でのアルバイトをかけもちして働きながら暮らしていたという。

「誰も知り合いのいない土地ですが、地域の人には、本当によくしてもらいました。川上村の農家の皆さんは、深夜2時から収穫作業を開始し、農作業は夕方まで行います。晩御飯を食べて夜7時過ぎには村は寝静まるといった状況が半年続きます。決して楽ではありませんでしたが、レタス農業は本当に楽しく、農業の魅力に取り憑かれていきました。」そんな梶谷さんには、婿養子に入らないか?という話も2、3件あったという。川上村は休耕地や耕作放棄地が0%。したがって新たに農地を手にいれることは不可能で、新規で農家として独立することはできないからだ。

しかしこの時すでに梶谷さんは、ふるさと愛媛・八幡浜で農業をして、この村の人たちが自分にしてくれたことを、自分のふるさとでも誰かにしていけたらと考えるようになっていた。

愛媛のみかんがUターンのきっかけをつくってくれた

2016年夏の終わり、川上村のスーパーで、村出身の宇宙飛行士・油井亀美也さんを見かけた。梶谷さんは、ツイッターを通じて、油井さんが宇宙での長期滞在中に、愛媛県産のみかんをスペースシャトル内で食べて、元気をもらったこと、任務を終え地球に戻った油井さんが、そのお礼にと愛媛県八幡浜市を訪れたということを知っていたので、声をかけた。「油井さん!私は日本一のみかんの産地、愛媛県八幡浜市から、レタス農業のアルバイトをしに川上村にやってきました!」と。そして油井さんに「農業は大変でしょうが、ぜひ頑張ってください!」とメッセージをもらったという。

その年の暮れ、39歳のとき、梶谷さんは八幡浜市に戻った。新規就農者への支援制度は5年間あるが、45歳までと年齢の上限がきまっているので、ぎりぎりのUターンだ。

JA西宇和のサポートで、現在10件の農家が梶谷さんの研修を受け入れてくれている。

「みかんはズブの素人。これだけのみかん王国で育ったはずなのに、みかん農家の暮らしというものは、全く知らずにここまできました。途方に暮れるように立ち尽くしてしまうようなこともありますが、農家の先輩は余すことなくその全てを見せてくれます。研修生である自分は、この道でずっと頑張られている先輩農家の皆さんに、お金をもらいながら勉強をさせていただいて、本当に恵まれている。感謝しています。」

この気持ちは日々の作業で役に立つこと、そして成長していくことで返していくしかないと心に誓う。

仲間と一緒に八幡浜のみかん畑を未来へ残していきたい

梶谷さんのように、新規就農農家を目指して八幡浜にやってきた青年たちとの交流もある。彼らは、みかん収穫期のアルバイターや農業研修者の宿泊施設として、廃校となった小学校を改修して設立された「マンダリン」で暮らしているが、梶谷さんはUターンであるため、自宅から園地へ通う。お気に入りは、港が一望できる農園での作業だ。

「もちろん決して楽なことではないと思います。でも長野での生活を経て、地元で農業をしながら思い浮かぶのは、共に汗を流して働いている「同志」のこと。自分も早く、その一員として認められるよう、頑張らないと!と思いますし、日々この環境に喜びを感じています。」

JA西宇和管内では「農家がその家に後継者がおらず、もう手放そうと思っているみかん畑をJA西宇和に管理委託する」というシステムがある。通常1年〜2年の研修が終わると、その園地を譲り受けて農家として自立する。それが梶谷さんの現在の目標だ。

「農業研修を受け入れてくれている農家の先輩から、梶谷くんは“新しい風”期待しているよ、と言われます。そんなふうに思ってくれている人たちの中で、自分はどうあるべきか?を考えながら過ごしています。」

農家出身ではないが、梶谷さんは、農業を「継ぐ者」としての覚悟を、今の暮らしの中で見出そうと奮闘している。

気になる移住のホンネ教えて

Q1. Uターンならではの悩みはなんですか?

一度出て行った者なので、また出て行くのではないか?と思われているかもしれません。でもそれを悩みにしても仕方ないし、自分にできることは1日1日、目の前のことに一生懸命取り組む事しかないと考えています。

Q2. みかん農家の研修生として働いている中で、つらかったことは?

軽トラックの荷台のゲートをきちんと閉めていなくて、積み込んだみかんの入ったコンテナを転がしてしまったことです。たくさん失敗もしています。受け入れ農家の皆さんの懐の深さには本当に救われています(笑)。

Q3. 移住を考える人にアドバイスを

自分もかつては長野県への移住をしていた者として言えることですが、殻に閉じこもることなく、ふれあいを大切にしてほしい。暮らしの中に飛び込んで、新しい風になってほしい、と思います。そこで長年暮らしている人だから分かることもあると思いますが、逆に、見えなくなっていることもあると思います。移住してきた人の視点は、とても貴重であると思います。移住者も受け入れる側も、お互いを大切にしていけたらいいなと思います。

梶谷 晋平さん(39歳)

梶谷 晋平さん(39歳)

移住スタイル Uターン
移住時の年齢 30代
家族構成 単身

八幡浜市移住担当者からひと言

新規就農家の支援制度には様々なものがあります。新たに設けられたり、既存の制度が改訂や終了したりしていることもあるので注意が必要です。また県、市、JAと制度の母体もさまざまです。八幡浜市の就農支援は、他の市町村と比べても充実していると思いますので、まずは一度相談してください。