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2021.03.23
川之内地区

定住支援員の「やわたはま・あれこれ」~川之内地区編⑤

こんにちは!定住支援員のOです(*´∨`*)

 

今日は、以前川之内地区の方に伺った「千賀居隧道※(ちがいずいどう)」のご紹介です。(隧道=トンネル。詳しくは最下部に)

川之内地区では、4個ある集落が毎回持ち回りで地区民参加の「歩け歩け大会」を初夏や秋に開催。子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、一緒に地区の見どころを定期的に巡っているそうです。

この千賀居隧道も、そのスポットのひとつ。

《千賀居隧道》

 

海に面し三方を山に囲まれた八幡浜は、隣市への移動の際、ほとんどの場合トンネルを通ります。

八幡浜では、高度成長期の後半に市中心部に至る主要道路の整備が進められ、昭和35年(1960)~昭和53年(1978)の間に、5つものトンネルが作られました。

川之内を抜け八幡浜と大洲を結ぶ国道197号線にある、夜昼隧道(よるひるずいどう)もその一つ。
夜昼峠に位置する全長2141mのトンネルで、現在の主要道路となっています。

《この道の先に、夜昼トンネルがあります》

夜昼トンネルができるまでは、川之石地区の山間集落を抜けるように配置された県道が主要道の役割を果たしていたそうで、千賀居隧道はその道中にひっそりと佇んでいます。川之内公民館からは車で約10分程度。

 

明治38年(1905)に完成し、この街道が明治40年(1907)に開通して以来、昭和46年(1971)に現在の国道ができるまで、八幡浜と大洲の往来を支えてきた場所です。

 

内部はレンガ造り。
昔はここを乗合馬車がちりんちりんと鈴を鳴らしながら走っていたそうです。

トンネル自体はそれほど長くなく、入り口からすぐに出口が見えています。

 

この隧道の面白いところは、トンネルのすぐ上に立てること。シュタッ!◝( ˙ ꒳ ˙ )◜
・・・このご説明では、ナンノコッチャよくわかりませんよね(;^ω^)

 

ということでワタクシ、このトンネル周りの道を渾身の筆致で描き起こしてみました。

《↑↑画力(-_-;)》

 

こんな感じでぐるぐると旋回しながら緩やかに上ります。トンネルがあるのは赤丸の部分。

全体を見た写真で示すと、赤線の部分に道路が通っています。

 

上の道路から見ると、こんな感じ。眼下に今通ってきた道が見えます。

現代では、すぐ下に道路が見える構造は陸橋などで慣れていますが、これ、約100年前に山の中に作られているんですよねスゴィ…(゚Д゚ノ)ノ

トンネルの上の道路はこんな感じ。道の両側が、下る斜面になっています。

むむむむむむ…?(*-乂-*)

山を掘って作るトンネルも大変ですが、この形に作るトンネルも、恐ろしいまでの労力がかかっているのではないでしょうかヽ(*´゚口゚`)ノ
というか、どうやって作ったんでしょう・・・

 

そばにある看板によると、道路より先にトンネルができているそうですね。近代土木としても、価値のある物のようです。
これは、詳しい地元の方と来て学びながら見てみたいコースですねφ(・_・”)

 

歩け歩け大会では、地区の見どころポイントを詳しい人から色々教えてもらったり、みんなで話をしながら、里山の風景をてくてくてくてく歩くようです。

 

ちなみに私が訪れたのは3月中旬~下旬。(桜を待って2回伺いました)
中旬には、早めの桜がぽつぽつと開花を始め、樹全体が桃色を帯びながら菜の花や梅とともに集落を彩り、里山の空気が柔らかく色づき始めていましたが、一週間後にはこの景色。 

 

まさに、「山笑う」

 

ほわほわ~~( ᵕ́ૢ‧̮ᵕ̀ૢ)‧̊·*
山の良さを知るには、春を外してはなりませんな~ゥィゥィ(´ω`(-ω-(´ω`(-ω- *)

ここ川之内地区~お隣の千丈地区の桜は、八幡浜市内の他の場所より少し早く咲くんだそうです。

八幡浜は狭い市なのに、同じ標高位のところでも咲き方に違いがあるなんて、意外でございます(・д・)ホォー

 

さて、最後にちょっと真面目な話をすると。

人口の多い都会では、地域というものを特段意識せずとも生活できますが、田舎では防犯灯の交換手配や道路の草刈りなど、なくては困る「生活に結びついた部分」を、多くの場合、身近な近所の人が行なっています。都会では「顔も知らない誰かがやってくれているだろう」であることが、「地域の〇〇さんが昨日やってくれた」ことになります。そして、田舎に住む場合、大なり小なりみんなが何らかの役目を負い、生活しています。

住民同士のつながりがあって初めて成り立つ田舎の生活。

ですが、今は全国で学校の統廃合が進み、一般的な話として、学校が廃校になった地域では核となる拠点を失い、繋がりが薄れていってしまう傾向があります。川之内地区でも同様に地域の小学校が廃校になり、交流の機会が少なくなった部分もあるようですが、色々な活動を通じて地域の繋がりを残していこうとされています。

その一つが、「歩け歩け大会」
もちろんみんなで楽しむために行なっている行事ですが、結果的にそこでの繋がりがきずなを作り、次の世代に地域を残す礎となっています。

 

近所に住んでいるおじいちゃんの顔と名前を知っている。
同じ地区に住む子の笑い声と性格を知っている。

そんな毎日をしっかり紡いでいる川之内地区のご紹介でした。

それでは今日はこの辺でグッバイ(。◕ฺ‿ฺ◕ฺ。)ノ

 

※隧道とは
国土交通省のHP によると、隧道とトンネルは同じ意味だそうです。
古くは一般的に隧道と呼ばれていましたが、今はトンネルと呼ばれることがほとんどですね。読み方も、「すいどう」「ずいどう」両方あるようです。

 

❁定住支援員・O❁

八幡浜市で初めての地域おこし協力隊として、中山間地域・日土東地区を担当。3年の任期満了後、平成30年4月から定住支援員として市内全域を対象に活動中。市内でも各地域で異なる風習や文化に日々驚きつつ、移住検討者の方に向けた「八幡浜の日常のあれこれ」をお伝えすべく、あっちこっちに出没。
市内を回り始めてだいぶ経つが、油断すると八幡浜の地図が頭から抜け落ちる症状は加速しており、違う道を曲がってしまって、そこで新たな八幡浜の素敵ポイントを発見するというミラクルに日々支えられている。(;´∀`)