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2018.08.20
松蔭地区

定住支援員の「やわたはま・あれこれ」~松蔭地区編①

こんにちは!定住支援員のOです。

今日からは、松蔭(まつかげ)地区のご紹介(*’∀’人)

松蔭地区は、こちら⇊

<例によって、海に浮いた表記になってますが、ご容赦を(;^_^A>

商店街があり、地区内に主要地方道八幡浜港線が通る、八幡浜市の中心部のひとつです。

この地区の特徴として外せないのが、その歴史的成り立ち。

その昔、八幡浜は「伊予の大阪」と呼ばれていました。

中でも、この地域の港では、1800年代中頃から九州や大阪からの衣類や日用雑貨、書画骨董までが陸揚げされ、自前船を持つ複数の商人たちにより回漕業が営まれていました。

この物流により、当時の八幡浜は非常に繁栄していました。

 

しかし、その当時多くの船を受け入れていた港は、今、地区にはありません。
幕末、巨船の建造が認められるようになると、多くの千石船が作られ、狭い港に入れない事態が発生しました。
この地区では、それまでの港を埋めたて、新たな港を建造して、対応。
そのため、なんと現在、地区の約3分の2が埋め立てた土地なんだそうです。

昔の名残は、地区の至る所に残っています。

地区中心部の住宅地に、昔船を繋ぎとめていた石が残っていたり(° ꈊ °)✧˖°

豪商が多かった名残でしょうか、地区内至る所にある古くからの家には、
軒先に立派な「持ち送り」があります。

塀の上に、こんな立派な飾りをつけたところも(*’∀’人)

港の発展に伴い、旅館が多かったのもこの地区の特徴。

今では市街地になっている場所の地名も、
新港(しんみなと)、旧港(きゅうみなと)、沖新田(おきしんでん)、船場通(せんばどおり)、海老崎(えびさき)
など、海を感じさせるものが多いです。

 

中でも、埋め立てた土地の広い範囲につけられている名前が、
大黒町(だいこくまち)。

海、港、、、、全然感じない名前です。ナンデ?(゚ー゚*?)

 

実は、この地区の広範囲を埋め立てたのは、八幡浜商社。
明治3年に、海運業を営んでいた法華津屋、出来屋、大黒屋、新酒屋の四氏が設立した商社です。
今も、地区の方には「大黒屋さんが埋め立てたから大黒町」と伝わっています。

 

ところが八幡浜市誌によると、少し違っているようで。

八幡浜商社は、わずか10年の営業で解散しました。
埋立てに際し必要な莫大な費用を、
商社は埋め立て後の土地売却で返済する予定で宇和島藩庁から
借り入れていたのですが、事情により早期返済を求められることになりました。
この返済に苦しむ途中に、大黒屋と新酒屋は早い段階で商社を離脱した、とあります。

最後まで返済に取り組んだ出来屋さんの名前ではなく、
何故途中で離脱した大黒屋さんの名前が、地名として残っているのか。。。r(-◎ω◎-)
(他の3氏の名前は、町名としては残っていません)

いずれにせよ、
この地を開拓した先人たちへの尊敬と感謝と、
これからも尚、この地域が発展していくよう、
縁起のいい大黒屋という名前が愛され、
今に伝わったのは、間違いなさそうです(^ ^)

それでは、今日はこの辺で!

 

❁定住支援員・O❁

八幡浜市で初めての地域おこし協力隊として、中山間地域・日土東地区を担当。
3年の任期満了後、平成30年4月から定住支援員として活動中。
市内でも各地域で異なる風習や文化に日々驚きつつ、
移住検討者の方に向けた「八幡浜の日常のあれこれ」をお伝えすべく、
あっちこっちに出没。
最近の悩みは、八幡浜の地図が頭の中で暴れ出して位置がなかなか掴めない事(^_^;)