【夫編】Uターンという選択。地元に戻る決意の裏側
「地元に戻る」と夫が決めたのは、23歳のときのこと。
就職して1年目、松山での生活にもようやく慣れてきた頃でした。
大学進学をきっかけに八幡浜を離れ、松山で迎えた学生生活。
友達もでき、休日は街で遊んだり飲みに行ったり。
夫自身もきっと「このまま松山で暮らしていくんだろうな」と思っていたそうです。
そんなとき、心のどこかにふと湧いてきたのが、
**「このままでいいのかな」**という小さな違和感だったと話してくれました。
夫の実家はみかん農家。
子どもの頃は当たり前すぎて、正直、特別な仕事だとは思っていなかったそうです。
社会に出てから、久しぶりに帰省したある日、
祖父が高齢になり、少しずつ農地を手放していることを知りました。
そのとき夫は、胸の奥から自然と
「手放すくらいなら、僕がやる」という思いが湧いたそうです。
ただ、農業を専門に学んだわけでもない夫にとって、農業は未知の世界。
知識はほぼ0。
「本当にできるのだろうか」という不安のほうが大きく、
覚悟を決めるまでには時間がかかったと話していました。
■ 正解かどうかは、わからないまま
この選択が正解かどうか。
それは、夫自身にもわかりませんでした。
実際、最初の1年ほどは、
松山と八幡浜を行き来する2拠点生活を送っていました。
(私は異動したばかりで会社を辞めづらく、しばらくは松山で生活をしていた。)
今振り返ると、
あの頃はまだ「腹をくくる」までには至っていなかったのかもしれません。
それでも、少しずつ八幡浜で過ごす時間が増え、
人や仕事、日々の暮らしに触れる中で、気持ちも、生活も、ゆっくりと地元に寄っていったように感じています。
■ 友人の存在が、夫の背中を支えてくれた
幼なじみで、すでに農家として働いていた先輩兼友人に相談する中で、
少しずつ夫の気持ちにも変化があったようです。
同世代の多くが都会でキャリアを積んでいたその頃、
「なんで戻るの?」と聞かれることもあったと言います。
それでも夫は「戻る」と決めました。
八幡浜に帰ってきて彼が感じたのは、知っている人がいるという安心感。
そして、懐かしい景色と人のあたたかさ。

■ 妻として、あの頃を振り返って
この頃の私はというと、
正直、夫の決断をそこまで深くは考えていませんでした。
「やりたいことをやればいいんじゃない?」
「もしダメだったら、そのときに考えればいいよね」
今思えば、ずいぶん軽い言葉だったかもしれません。
でも当時は、挑戦すること自体を止めたくなかったし、
結果よりも、「やらずに後悔するほうがつらいんじゃないか」
そんなふうに思っていました。
このスタンスが正解だったかどうかは、今もわかりません。
ただ、夫が一歩踏み出すとき、
少なくともブレーキにはならずにいられたのかな、と思っています。
おわりに
Uターンは、
強い覚悟や明確なビジョンがあって決めたものではありませんでした。
▶ 次回予告
次回は、
【夫編】知識0からのスタート。
農業経験ゼロの状態から、
どんな壁にぶつかり、
どんな失敗をし、
どんな人たちに支えられてきたのか。
リアルな農家のはじまりについて、書いていきます。
❁八幡浜市地域おこし協力隊 移住支援員❁
2023年4月に着任。結婚を機に八幡浜に移住してきました。
人の温かさに触れながら、忙しいながらも充実した毎日を送っています。
新鮮な魚とおいしいみかんが食べれる町。それが八幡浜。来て見て食べてみてください。
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